平野の街 あっちこっち
このページは、地元在住の郷土史家前田章賀氏のご好意で執筆いただき、祇園神社のある平野の街周辺をシリーズでご紹介していきます。
| 平野の街あっちこっち 第2回 |
| 『雪見御所』 |
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「雪見御所」ロマンチックで快い響きを感じさせてくれる名では |
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| 公卿、中山忠親の日記『山槐記』 によれば、 |
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| (1) | 清盛公の腹違いの弟、頼盛の荒田の山荘から四・五町(1町は109m)の処に「雪見御所」が在る。 |
| (2) | 本皇居は、「雪見御所」の北に在る。 |
| (3) | 本皇居の1町の処に湯屋(温泉)が在る。 |
| 以上3点から推察し、又当地の字名が「雪ノ御所」そして明治32年湊山小学校の校舎を建築する折、地中から平安末期の瓦や土器や礎石が出土し、総合的観点から判断して「雪見御所」の位置は現在の湊山小学校周辺に相違ないと判明したのです。 |
| なぜ福原遷都を |
| では、何故清盛公は此の地を愛し、1180年に「福原遷都」を断行したのでしょうか。考えられる要因としては、 |
| (1) | 東には、諏訪山、宇治野山、大倉山、西には会下山、頓田山、増田山の連山に囲まれ、フトコロに抱かれたような地形はかの有名な鴨長明の『方丈記』に「内裏は山の中なれど云々」又、西行法師の和歌に「深山(みやま)かと思ひ来ぬればさはあらで千鳥ヶ滝に潮ぞ満ち来る」と詠まれ、防禦の面で外敵を防ぐ要塞であったとうかがえます。 |
| (2) | 地形が京都や鎌倉と似ており、陰陽道、風水の面から判断して吉相の地である事。京の都全体もそうですが、王城の鎮護神として、朝廷の篤い崇敬を受けている京都の下鴨神社、上賀茂神社の位置が東に高野川、西に加茂川の2つの川にはさまれ、この地形と類似しています。 |
| (3) | 湊川の上流、現在の天王川、石井川の合流附近まで、高瀬舟で往来している有様がしのばれ、陸と海からの交に適していたこと |
| (4) | 病の為、太政大臣を辞し、出家して入道浄海と称し、平野に退隠するは、旧藤原勢力との軋轢(あつれき)や比叡山の僧徒の圧力で神経を消耗し、湯屋に近い処で療養せんが為。 |
| 以上の4点が挙げられます。 |
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現在は湊山小学校の校庭の南側に「雪見御所跡地」の石碑しかありませんが、周囲を散策すれば当時の福原京の有様がしのばれることでしょう。 |